私は、西東洋問わず歴史が好きで学ぶ事も多い、諸説あるが本能寺で信長が明智の謀反で討たれ、秀吉が明智を討ち仇を果たすその後天下人となる。秀吉死去、跡目争い、大名の中での権力抗争勃発、関ヶ原の合戦に繋がる。その時の東軍、家康の戦い方は現代にも通用する「情報戦」西軍の諸大名に後の領土、褒美の確約の令状を送り、味方に付けたり静観視させたり戦を始める前から勝利していたようなものだ、気が付かぬ三成もどうかと思うが巧みであったのだろう、そして豊臣の血を引くものは大阪冬、夏の陣を経て絶える、妻、息子、少ない側近たちでは、勝ち目はなく「大義」の元強力な忠義が必要で犬死するものなど少ない、現代に於いては皆無であろう、私もひどい扱いを受ければ報復する覚悟はできている徹底的にぶっ潰す、それが私の武士の末えいの血の高揚で抑えるつもりはない。それがしは、負けん気では誰にも負けぬし、戦えば徹底的にやる、慈悲は受け付けない、負けない。